宮崎吾朗 脚本・監督のアニメーション映画『ゲド戦記』について、まだ見ていない人や見たけど忘れちゃったと言う人のために、映画のあらすじをまとめてみました。
これからテレビやDVDで観るよ!という方にとってはネタバレになってしまいますので、ざっと見る程度がいいかもしれませんね。
また、公開当初から「つまらない」「意味不明」と酷評が続いたアニメーション映画『ゲド戦記』。
「良作」とも「ジブリ1の駄作」とも言われる『ゲド戦記』は、なぜそこまで意見が分かれ、酷評されるのかを、まとめてみました。
『ゲド戦記』のネタバレあらすじ
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『ゲド戦記』のネタバレあらすじ:起
エンラッド国の王子アレンはとても生真面目な性格ゆえに、世に蔓延する悪に思い悩むうちに心を病んでしまいます。
そしてついには自分の影に追われるようになり、アレンは実の父親である国王のを殺してしまいます。
正気に戻ったアレンは国王を殺したことが恐ろしくなり、国王の魔法の剣を持って他国へ逃亡します。
逃亡の途中、野獣に襲われていたところをハイタカという名の魔法使いに助けられます。
アレンとハイタカはともにホート・タウンという町を目指して旅に出ることになります。
『ゲド戦記』のネタバレあらすじ:承
ホート・タウンに到着したアレンとハイタカは、心を狂わせる薬や人買いが当たり前のように行われている街の様子を目の当たりにします。
一人で別行動を取ったアレンは人狩のウサギらに襲われている少女を助けますが、その夜アレンが一人で居たところをウサギたちに見つかってしまい、アレンは奴隷として売られそうになってしまいます。
ウサギに捕らえられたアレンはハイタカによって救われます。
そして、アレンとハイタカはハイタカの昔馴染みだったテナーの家を訪ねますが、なんと偶然にもそこにはアレンが助けた少女の姿があったのです。
少女の名前はテルーといい、両親に捨てられた彼女はテナーに引き取られていました。
アレンとハイタカは、しばらくの間、テナーの家で共に暮らすことになります。
『ゲド戦記』のネタバレあらす:転
そんなある日、ハイタカの留守の間をねらって、ウサギがテナーの家を訪れます。
テナーを誘拐されたテルーはウサギから、「この女を返してほしかったら、クモ様の城に来るように」とハイタカに言うように告げられます。
ウサギは邪悪な魔法使いクモの手下だったのです。
一方、アレンは影を利用され、クモにさらわれてしまいます。
テルーから事情を聞いたハイタカはクモの城へと急いで行きましたが、魔力を奪われてテナーと共に幽閉されてしまいます。
その頃、テルーはハイタカから預かった剣を持って、一人でクモの城へ乗り込みます。
敵の目をかいくぐり、なんとかアレンの元へたどり着いたテルーは、クモによって生気を失っていたアレンを説得します。
テルーの言葉に心を動かされたアレンは闇から抜け出し、ハイタカとテナーを助けるためにクモと対峙します。
『ゲド戦記』のネタバレあらすじ:結
クモは強力な魔力を使ってアレンたちを殺そうとします。
戦いの最中、テルーをさらわれたアレンは、城を破壊していくクモを必死に追いかけます。
しかし、クモの絶大な魔力によってなんとテルーは殺されてしまいます。
呆然とするアレン。
その時「待ちなさい」とクモを呼び止める声がしたのです。
なんと、死んだはずのテルーが蘇り、立派なドラゴンになって表れたのです。
ドラゴンの吐く炎によってクモは遂に息絶えます。
永遠の命を我が物にせんとしていたクモが、禁忌とされる「生」の世界と「死」の世界の扉を開けてしまったがために、世界の均衡が崩れてしまっていたのです。
やがて世界に平穏が訪れ、アレンは自分の罪を償うために帰国を決意します。
テルーとテナーに別れを告げてハイタカと共に旅立って行ったのでした。
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『ゲド戦記』が「つまらない」と言われる訳は?
『ゲド戦記』の原作はあるの?
『ゲド戦記』は、アメリカの小説家アーシュラ・クローバー・ル=グウィンの「ゲド戦記シリーズ3」(さいはての島へ)と、その小説に感銘を受けた宮崎駿監督が描いた「シュナの旅」の2つを原作・原案としたスタジオジブリのアニメーション映画です。
監督・脚本を担当したのは宮崎駿の実の息子である宮崎吾朗さんで、宮崎吾朗さんの初監督作品となりました。
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『ゲド戦記』はつまらない?面白い?
原作の「ゲド戦記シリーズ」はファンタジー作品としてとても人気のある作品で、沢山のファンがいます。
それを日本を代表するアニメーション会社・スタジオジブリが映像化するとなれば、文句なしに良い作品に仕上がりそうなものですよね。
しかし、実際公開された映画を見た人たちからは、
「つまらない」
「駄作」
など辛辣なコメントが寄せられました。
なかにはつまらないどころか、
「わざわざ観るものではない」
という人までも。
酷評は熱心なジブリファンの人たちから多く寄せられたようでした。
作品の制作力や、原作や、キャラクターなども非常に良い素材が揃っていただけに、なぜ口々に「つまらない」と言われるようになってしまったのでしょうか?
『ゲド戦記』酷評の理由 その1 監督がアニメ監督未経験
『ゲド戦記』はジブリというブランドを築き上げた宮崎駿監督の息子の宮崎吾朗さんが脚本・監督を務めました。
宮崎吾朗さんは、今までアニメーション映画の監督など経験したことはなく、『ゲド戦記』が初の監督作品になります。
公開当時はこのことについて批判する声がとても多かったですね。
まぁしかし、誰でも最初は未経験ですし、このことで批判されるのは意味不明ですが、やはり「親の七光り」と考えられてしまったのでしょうね。
監督自体未経験とはいうものの、宮崎吾朗さんはジブリアニメが制作されているすぐ側で育ってきた人物です。
スタジオジブリの作品がどんなものかは良く理解していたのではないかと考えられます。
だからこそ鈴木敏夫さんは宮崎吾朗さんを監督として強く推薦したのではないでしょうか?
もちろん、多少の経験不足は否めませんが、単に息子の作品だからと批判したりするのはどうかと思います。
『ゲド戦記』酷評の理由 その2 ストーリーが意味不明
アニメーション映画『ゲド戦記』で最も批判が集まったのは、そのストーリーではないでしょうか?
視聴者を置き去りにし、支離滅裂とも、意味不明とも言えるストーリー展開が、最終的に「つまらない」という意見を呼ぶことになったのは事実だと思います。
脚本も宮崎吾朗さんが担当されたのですが、これは経験不足がそのまま目に見えて出てしまった部分になったのではないでしょうか?
宮崎吾朗さんは『ゲド戦記』という作品を作るのに、自分の父が「ゲド戦記シリーズ」から感銘を受けて描いた「シュナの旅」も脚本の原案として盛り込んだのです。
「ゲド戦記シリーズ」の影響を受けているとはいえ、「シュナの旅」は全く別の作品です。
そのストーリーはもう「ゲド戦記」ではないですし、意味不明のストーリーになるのも無理はありませんよね。
映画の尺に収まるようにメインとなるストーリーを絞って作ったはずなのに、その実様々な要素をかいつまんでしまった結果、結局何を描きたかったのかわからないような意味不明なストーリーとなってしまったのです。
ストーリーがはっきりしていないと見ていてつまらないと思うのは無理もない話ですよね。
「ゲド戦記」酷評の理由 その3 原作の良さが伝わってこない
映画『ゲド戦記』は、全6巻ある「ゲド戦記シリーズ」の第3巻「さいはての島へ」を主なストーリーとして描いていますが、なぜだか第1巻の「影との戦い」の要素も作品の中に入れ込んでしまっています。
そもそも世界観が壮大な原作を、1巻だけでも映画化するのが大変なのに、そこへ別の巻や別の作品の要素まで入れてしまったことで、全体的に薄く広く浅いストーリーの作品となってしまったのでしょう。
原作者のアーシュラさんも、
「アニメーション映画「ゲド戦記」は原作とは別物の、宮崎吾朗さんの作品になっている。」
と発言するほど原作の良さを活かしきれない作品となってしまいました。
「あえて表現しない」こともジブリ作品の良いところではありますが、今回の「ゲド戦記」では「表現をしなさすぎた」ことで、原作の良さが半減し、視聴者にとっては意味不明な作品となってしまいました。
「ゲド戦記」酷評の理由 その4 期待が大きすぎた
スタジオジブリが制作するということ、原作が非常に人気の高いファンタジー作品であったこと、そして宮崎駿監督の息子が脚本・監督を務めることなどから、製作段階から視聴者の期待値が非常に高かったことが、映画公開後酷評されるに至った1番の理由ではないかと思います。
「ジブリ」というブランドや、原作のストーリーを気にせず、多少理解できないところがあるとしても、「つまらない」と酷評されるほど酷い作品でもないような気がします。
映像は綺麗だし、謎を明確に明らかにしないところがあったりするものの、必要最低限の情報はきちんと出していて、ストーリーがすべて破綻しているというわけでもありません。
視聴者が置き去りにされてしまうようなストーリー転換は確かにありますが、そういった作品は他にも存在します。
やはり「ジブリ」というブランドで発表されたことが、「つまらない」とか「駄作」と言われてしまったいちばんの要因なのではないでしょうか?
『ゲド戦記』を評価する声も
厳しい意見も多い『ゲド戦記』ですが、「好き」「良作」という意見も一定数存在します。
おそらくですが、何に重点を置いて観るかによって、意見が180度変わるのではないでしょうか?
ファンタジー、魔法、ドラゴンが存在する世界観は作品として充分魅力的な部分ですし、主人公のアレンも物語終盤に向けて成長していき、終わり方としてはとてもきれいな仕上がりとなっています。
物語のヒロイン少女テルーとアレンが次第に心を通わせていくところも作品として魅力的な部分になります。
多少ストーリーが意味不明でも、そういったキャラクターの成長や距離感の変化、それに悩む主人公に寄り添ってくれる心優しい人々の描写など、胸が熱くなるようなシーンはたくさん登場しますし、物語の軸より、その辺の描写を注目して観る人にとっては充分面白い作品と言えるのではないでしょうか?
まとめ
今回は「『ゲド戦記』のネタバレあらすじ!つまらないと言われる訳は?」という内容でまとめてみました。
『ゲド戦記』は王子アレンが主人公のファンタジー作品でしたね!
テルーが一度死に、ドラゴンになって蘇るところなんて最大の見どころではありませんか?
また『ゲド戦記』は「つまらない」「駄作」などと酷評されていましたが、原作以外のいろんな要素をかいつまんで物語の中に入れ込んでいることでストーリーが薄く、広く、浅くなっているので、「つまらない」という感想を視聴者がもつ原因となっているようです。
また、脚本・監督の宮崎吾朗さんが宮崎駿さんの息子ということでジブリブランドとあいまって、視聴者が過度な期待をしてしまったことが、そうした評価につながっていることがわかりました。
とはいうものの作品中に見どころはたくさんあります。
常に高評価のスタジオジブリ作品のなかで低評価が目立っただけで、通常のアニメーション映画のなかではそんな酷評されるほど酷い作品ではありません。
ファンタジー作品が好きな方は、ぜひ一度市長されてみてはいかがでしょうか?
それでは最後まで読んでくださってありがとうございました。
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