今回は、「高島彩の子供が受験した小学校はどこ?宗教も絡む「嫁姑教育バトル」はどうなった?」ということで、フジテレビの女子アナだったアヤパンこと高島彩さんの子供さんの情報をまとめていきたいと思います。
高島彩さんは、2001年にフジテレビのアナウンサーとして入社して以来、アイドル的存在として視聴者にも大人気になりました。
女子アナ独特の愛称で「〇〇パン」という呼び方がありますが、初代千野志麻さんの「チノパン」に続き高島彩さんは「アヤパン」としてみんなに親しまれています。
そして、高島彩さんは2010年にフジテレビを退社して、フリーアナウンサーに転身しました。
フリーに転身した後、ゆずの北川悠仁さんと結婚したのは有名な話ですね。
2014年に子宝に恵まれた高島彩さんと北川悠二さんですが、高島彩さんと姑の関係が良くないとうわさになっていました。
特に長女の進学先の小学校をめぐって嫁姑のバトルが激しくなっているようです。
このうわさが本当なのかどうかを確かめながらまとめていきたいと思います。
高島彩の子供について
出典:https://ord.yahoo.co.jp
「2014年2月17日午後8時52分に3128gの第一女児が誕生した」とマスコミ宛にファックスが届きました。
ということは、高島彩さんの長女は現在6歳になったばかりのようですね。
しかもなんと、高島彩さんと誕生日が1日違いなんです。(高島彩さんの誕生日は1979年2月18日)
続いて2016年6月に次女も誕生します。
現在3歳なのでかわいい盛りでしょうね^^
しかし、二人の名前は公表されていません。
どちらかの名前が「桜子」だといううわさがありますが、これは全くのデマのようです。
そして、気になる高島彩さんの子供が通っていた幼稚園はどこだったのかを調べていきましょう。
高島彩の子供が通っていた幼稚園は?
高島彩さんの子供が通っていた幼稚園については、公表はされていません。
しかし、うわさでは東京の若草幼稚園か同じく東京の青山幼稚園だと言われていました。
そしてその理由は、この二つの幼稚園は芸能人の子供がたくさん通っているからということでした。
しかし、高島彩さんと夫の北川悠仁さん夫妻の自宅は、夫の北川悠二さんの実家の近くの横浜市内に住んでいるという情報もあるので、キリスト教系以外の幼稚園に通学していた可能性も高いと思います。
横浜の名門幼稚園ということであれば横浜英和幼稚園か森村学園幼稚園の可能性も高いのではないではないかと思います。
多くの芸能人の子供が通っている情報はあるのですが、高島彩さんに関しては全くと言っていいほど情報が少ないことに驚かされます。
安全面から、かなりマスコミを警戒しているのではないでしょうか?
高島彩が子育てのルールを公開して大炎上!?
都内で開催された読み聞かせのイベントに高島彩さんが出席したことがあり、そのイベントの中で高島彩さんが子育てのルールについてコメントをしました。
高島彩さんは子育てのルールとして次のようなことを気を付けていると発言しました。
「大きな声で怒らないこと」
「子供に対して『それってやっていいの?』と聞くと子供は考えてくれる」
しかし、これに対して出席していたママさんたちが敏感に反応してしまいました。
「高いシッターに預けている人に言われたくない」
「たかが数年の母歴で子育て論を語るな」
などと、思わぬ集中攻撃を受けてしまったのだそうです。^^;
女子アナとしては頂点に立った高島彩さんだったのですが、ママさんたちにはすんなり受け入れてもらえなかったみたいです。
ママタレとして認められるには、まだまだ遠い道のりになりそうですね。
高島彩の子供が受験した小学校はどこ?
高島彩さんの長女は今年から小学校へ入学することになります。(もう入学式は終わったかな?)
高島彩さんは長女にカトリック系の私立小学校へ行ってほしいと考えていたようです。
カトリック系の名門小学校で横浜にあるのは、関東最大難関校と言われている横浜雙葉(ふたば)小学校です。
親としては子供に名門校に行ってほしいというのが本音でしょうから、高島彩さんの子供は横浜雙葉小学校に通うのではないかと言われているようです。
高島彩の子供の小学校受験で姑との「嫁姑教育バトル」が勃発!その理由が深刻すぎる!?
高島彩さん自身、幼稚園はカトリック系の枝光会(しこうかい)幼稚園に通っていました。
それで、自分の子供にもカトリック系の学校に通ってほしいと思っていたようです。
このことから姑との関係がギクシャクし始めたと言われています。
さらに姑は結婚後、高島彩さんがすぐに家庭に入ってくれるものと思っていたようなのです。
ところがフタを開けてみると、高島彩さんはフジテレビ退社後も仕事を続けていました。
このことで姑は少なからず高島彩さんに対して不満がたまっていったようです。
その姑なのですが実はものすごい人物だったのです。
どのような人物だったのか見ていくとしましょう。
高島彩の姑は宗教団体の教祖!?
北川悠仁さんの母親は「北川慈敬(きたがわじけい)」という人で1937年生まれの83歳です。
そして新興宗教団体『かむながらのみち』の教主でもあるのです。
慈敬さんは11歳で宗教法人解脱会に入会し、21歳で布教活動に入りました。
その後、布教所を各地に設けて布教に専念します。
そして1999年2月に解脱会を離れて、1999年5月に『かむながらのみち』を創設しました。
『かむながらのみち』は天照大神を信奉して、神道と仏教を融合させた教えを説いています。
北川慈敬さんは算命学も行っていて、自分の息子北川悠二さんの婚期を占ったところ、35歳まで結婚をしてはいけないという占いの結果が出たそうです。
でも、実際に北川悠仁さんが結婚したのは34歳のときで、占いよりも1年早かったことから、教えに従わなかったともうわさされていたようですね。
高島彩と北川慈敬の嫁姑バトル
高島彩さんは北川慈敬さんから「仕事をセーブしなさい」と言われていたので、しばらくは静かにしていました。
しかし、2017年に『サタデーステーション』の司会をすることになり、このことがきっかけで一気に嫁姑の関係が悪化したようです。
北川慈敬さんから高島彩さんに対して「スカートの裾が短すぎて、はしたない」など小言が増えてきたと言います。
当時、次女が1歳にも満たないのに、子供を置いて仕事に出かけるという行動が北川慈敬さんにとっては信じられないことだったんでしょうね。
そういった状況になったので、高島彩さんは北川さんの実家を避けるようになって、子供も実母に預けていたようですよ。
昔の人は家を守るのは女性の仕事と教えられてきたでしょうから、高島彩さんの行動は理解できないものがあったんでしょうね。
高島彩は子供をカトリック系の名門小学校に通わせたい!?
高島彩さんと北川慈敬さんは長女の進学先の問題で、2人の関係に溝ができてしまったようなのです。
高島彩さんは子供には小中高一貫教育の女子高で、東大など難関大学の合格者を多数出している有名進学校に通ってほしいという希望がありました。
高島彩さんが子供に通ってほしいと希望するのはキリスト教系の学校です。
北川慈敬さんからすれば、孫が自分の教えとは違う宗教系の学校に行くのは許されないことだったのでしょう。
嫁姑のバトルが繰り広げられるのも無理はないような気がしますね。
横浜雙葉小学校はどんな学校?
横浜雙葉小学校はカトリック系の女子校で、横浜山手の丘にあります。
1914年に横浜雙葉中学高等学校の前身である『横浜紅蘭女学校初等科』として設立された歴史ある学校です。
横浜雙葉小学校の教育方針は次のようになっています。
『神様から命を授けられた宝物である子供たちーその存在そのものを大切にするとともに、一人ひとりに与えられた才能を引きだして伸ばすことが、カトリック教育の基本です。』
そして、この学校の卒業生を調べてみると、アナウンサーの八木亜希子さんも横浜雙葉小学校を卒業していたことがわかりました。
他にも有名人では渡辺真理さん、三浦しおんさんも横浜雙葉小学校を卒業しています。
このようなことを考えると、横浜雙葉小学校は子供を安心して通わせられる小学校だということがわかりますね。
高島彩の子供がダウン症のうわさはガセネタ!その真相に涙が止まらない!!
高島彩さんの子供はダウン症だといううわさがありましたが、高島彩さんの子供についてはダウン症ではないことがわかっています。
しかし、その噂が流れた背景には、高島彩さんが子供を流産した経験があることがあるようです。
高島彩さんは二度の流産を経験していたと言われていますが、本当なのでしょうか?
高島彩は二度流産していた
高島彩さんは妊娠4カ月目に入り、マスコミに発表する前に妊婦検診を受けたところ、すでに赤ちゃんが亡くなっていました。
原因は染色体の異常によるものでした。
そしてそのときには12週目だったので、流産ではなく、分娩してから死亡届を提出する死産が確定しています。
死産となった赤ちゃんは、火葬されて遺骨が残るという、女性にとってはかなり辛い経験を高島彩さんはしてしまいました。
高島彩さんが経験した「子宮内胎児死亡」とは、そのほとんどが卵子の老化によるものだと言われています。
その老化した卵子が偶発的に染色体異常を起こして流産してしまうのです。
母体が歳を重ねていくほど子宮内胎児死亡の割合も高くなります。
これは治療では防ぐことができません。
高島彩さんは、その後にも「化学的流産を」していたことがわかっています。
「化学的流産」は妊娠したかもしれないと、妊娠検査薬を使って検査すると「陽性」反応が出るのですが、受精はしたけれど着床がうまくいかないときに起こります。
流産という名前がついているのでかなりショッキングなイメージを受けてしまいますが、この「化学的流産」は意外とよくあることのようです。
高島彩さんは、それから数年後に妊娠しますが、胎盤が子宮を塞いでしまって、また流産するところだったようです。
しかし、結果的には無事赤ちゃんが生まれました。
辛いことを乗り越えた後にやってきた幸せに、普通の人の何倍、何十倍もの幸福感があったことでしょう。
まとめ
今回は「高島彩の子供が受験した小学校はどこ?宗教も絡む「嫁姑教育バトル」はどうなった?」ということでまとめてきました。
嫁姑関係をこじらせていた高島彩さんでしたが、結局は自分の考えを貫くと決めたようです。
辛い思いをしながらも二人の子宝に恵まれた高島彩さんですので、自分の子供のことは自分で守ると心に決めたのでしょう。
もうすでに長女の小学校もどこへ行くか決まっているでしょうから、これからの学校生活が楽しみですよね。
次女も長女と同じ小学校へ入学する可能性がたかいと思うので、そのあたりも楽しみです。
旦那の北川悠二さんとの離婚危機もうわさされていますが、子供のことを考えたら離婚はあり得ないでしょう。
辛い思いを乗り越えて、やっと手にした幸せなので、これから子供と一緒に幸せな家庭をつくっていってほしいと思います。
コメント