今田耕司の出身高校はどこ?出身大学も合わせて調査

芸人芸能人

今田耕司さんはテレビ番組や舞台で大人気の芸人ですよね。

 

今田耕司さんはどこの高校を出ているのでしょうか?

ウワサによると刑務所のような高校だったとか。

 

刑務所みたいな学校って一体どんな学校だったのかすごくきになりますよね。

今回は今田耕司さんの簡単なプロフィールをご紹介した後に、出身高校などと、その他学生時代のエピソードなどについてまとめていきたいと思います。

 

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今田耕司(いまだこうじ)さんの簡単なプロフィール

名前:今田耕司(本名同じ)

生年月日:1966年3月13日生まれ

血液型:A型

出身:大阪府大阪市

職業:お笑いタレント、司会者

所属事務所:吉本興業

 

1985年に吉本総合芸能学院(NSC)に第4期生として入学。

同年にほんこんとお笑いコンビ「ダブルホルモンズ」を結成しますが、翌年1986年に解散し、ピン芸人として活動を始める。

 

そしてその3年後の1989年から吉本新喜劇に出演し始めテレビでの露出も多くなります。

1990年には東京へ進出、ダウンタウンの「ごっつええ感じ」などに出演して、日本全国的な人気を得たのでした。

 

また、東野幸治さんとWコウジとして司会などで活躍。

それ以後は多くのテレビ番組に出演、「深イイ話」や「なんでも鑑定団」、「アナザースカイ」などにレギュラーとして出演。

 

芸人としてだけではなく俳優としても活躍し、「彼と彼女の事情」や「いつかまた逢える」、「下町ロケット」などの連続ドラマにも出演しています。

 

今田耕司の出身高校

今田耕司さんの出身高校は三重県の日生学園第一高校(中退)です。

ちなみに日生学園第一高校の偏差値は40です。

 

今田耕司さんは日生学園第一高校を中退した後、清風高校定時制に編入して卒業しています。

ということで今田耕司さんの出身高校は清風高校ということになりますね。

日生学園第一高校は当時私立の男子校でしたが、現在は男女共学の桜丘高校となっています。

 

今田耕司さんが通った日生学園第一高校は全寮制のスパルタ教育で知られていた高校でした。

また、当時の日生学園第一高校は、中学時代に素行不良など問題があった学生が全国から集まってくることでも知られていました。

 

今田耕司さんは中学時代、特に問題児ではなかったのですが、どういう理由か中学時代の担任の先生が今田耕司さんの親に、日生学園第一高校への進学を勧めたことから、この高校に進学しています。

 

今田耕司の高校生活

当時の日生学園第一高校(全寮制)での学生生活をまとめておきましょう。

毎朝4時半に起床し、2キロのマラソンをしなければならず、放課後も10キロのマラソンが日課でした。

 

また、便器は素手で洗うのがあたりまえ、郊外への外出は月に一度で帰宅以外は禁止、甘いものやお菓子は禁止で、外出先から戻ってきたら身体検査が義務付けられていました。

想像を絶するスパルタ教育ぶりですね!
その他にも日生学園第一高校には以下のようなルールがあって、まるで刑務所のようだったと学生時代の3年間を振り返る卒業生がいるほどです。
授業中は机の脚の床に近いところをぐるりと回ってついているパイプに足を乗せたり、それより外に足を出してはいけない。
授業の間の休み時間はトイレ以外で席を離れてはいけない。
休み時間中の私語も禁止。
校歌、応援歌、寮歌など学校の歌が10曲あり、入学して3日で暗記させられる。
ほとんどの歌は、腕を振りながら大声で歌わなくてはならない。
返事は基本大声で、この返事と歌のおかげで入学して3日くらいでほとんどの生徒は声が枯れ潰れてしまう。
食事中、下級生は先輩のお茶がなくなれば注ぎ、先輩が食事を終えたら箸立てを差し出したり、先輩のお代わりを取りに行く。
男子生徒の紙は五厘。
散髪後に流すが真冬でも冷たい水。
文房具等を買う場合はもちろん購買部を利用するのですが、生徒が現金を所持することが許されていなかったので、購買帳に必要なものを書き、朝担任に提出。
担任が購買帳を見てOKと判断したもののみ買うことができる。
学校内で飲めるのは「水道水」「熱いお茶」間食の際の「牛乳」のみ。
雨具の使用は禁止。
熱が出ても38℃以上にならないと休めない。
教師による体罰は日常茶飯事。
今田耕司さんは当時のことを次のようにコメントしています。
「校長先生の話を聞くときに、ものすごい数の生徒がいるんですけど、校長先生の目線からサッとそらしたら、校長先生が壇上から指をさすんです。その目をそらした生徒を。そうしたら、両脇から先生がやってきて…ペチペチペチって」
また、寮内での上下関係も厳しく、消灯後に先輩に呼び出されて、「指導」という名目で殴られたことがあることも明らかにしています。
「就寝後、先輩にトイレに呼んでいただいてご指導いただいた。腹への思い蹴りなど種類も多かった」
今田耕司さんは学校で禁止されている甘いものを、ひそかに持ち込んでいたそうです。
「外からお菓子とか持ち込めないんですけど、工夫して持ち込まなダメなんで。僕がやったのは、生活用品は親から送ってもらえたりするんで、手紙の中で、『マクラの中に砂糖の袋を綿の中に入れて送ってくれ』って。僕の場合はいちごミルクのアメがすごい貴重品なんで、いちごミルクをマクラに仕込んだりして。普段お世話になってた人に、いちごミルクを持ち込むことに成功しましたってことで、配ったりしましたね」
また月1回の親との面会日には親と一緒にいる時間があったことから、こっそりケーキを差し入れてもらい、山の中で手づかみで食べたこともあるそうです。
「月に1回、面会日で親が一度会いに来るんです。…これ、学校の話しですよ(笑) そのときに、山の敷地内で親と自由な時間があるんですね。そこで、ケーキを手渡ししてもらうんですけど、(学校に)持ち込めずに処分せなアカンので、山の陰で食べて寮に戻る、みたいな」
今田耕司さんは「監獄のような学校だった」と言っており、高校1年の秋にはあまりの厳しさに耐えられず学校から脱走しています。
その時は1階のトイレの窓から山に向かって脱走しています。
最寄りの駅の影印は学校に通報するので、山を2つ超えて野宿したうえで別の駅から電車に乗車しています。
この時のエピソードについては、今田耕司さんは次のようにインタビューで話しています。
「1年生の時脱走を企てて、見つかるとすごい怖いから・・・・まず電車に乗るためのお金を持ち込まないとダメなんです。身体検査ではパンツのタマの裏に小さく畳んで持ち込みました。で、10月くらいにもうこれはあかんと思って、消灯してから体操着のまま、見回りもしてるんで1階の便所の扉を開けて山道を下りていくんですけど、最寄り駅だと、そっち方面で有名な学校だったんで、駅員に通報されるんです。「また逃げましたよ」みたいに。なので、野宿しながら2山くらい越えて家に最後帰りました。」
ただし一度目の脱走については連れ戻されています。
家には戻れたのですが、その後に退学の手続きをするので来てくださいと学校から連絡が来て母親と共に行ったところ、先生が「お母さん、これから学校を続けるというまでこの子を殴ります」と言って、5~6発殴られたところで「続けます」と言ってしまったことから再びこの学校の生活がはじまってしまいました。
ちなみに1回目の脱走はクラスメイト4人と一緒にやったんだそうです。
二度目の脱走は1年生の冬休みの帰省を利用して、そのまま学校に戻らず中退しています。
さすがにその時は学校の呼び出しに応じなかったようです。
呼び出しに応じて学校へ行っていたら、また「続けます」と言うまで殴られていたのでしょうね
ちなみに当時はこの高校で脱走者が出ると校内にアラームが鳴り、連帯責任として1年生はその生徒が見つかるまで正座させられたということです。
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今田耕司さんのその後は?

今田耕司さんは日生学園第一高校(全寮制)を中退した後、大阪府にある私立清風高校の定時制課程(偏差値は不明)に編入して卒業しています。

現在の清風高校は進学校(偏差値62~70)になっていますが、当時は進学校になる前で、商業科や定時制課程なども併設していました、

 

当時の今田耕司さんはラーメン屋の店主になろうとしていましたが、修行先のラーメン店の店主に「高校くらい出ておけ」と言われたことから高校の定時制課程に進んでいます。

また親にも高校くらい出ておくように説得されたとのことです。

 

そのため昼間はラーメン屋で働きながら高校へ通学するという生活が始まりました。

ただし、夏休みは母親の実家がある宮崎県高鍋市に滞在して、うどん屋でアルバイトをしながらサーフィンに熱中していたそうです。

高校卒業後は寿司職人か美容師になりたいと思っていましたが、肌が弱く医者に「水を扱う仕事は向いていない」と言われたことから断念しています。

今田耕司さんは大学には行ってるの?

今田耕司さんは高校卒業後、大学などには進学せず吉本総合芸術学院(NSC)に入学し、お笑い芸人を目指しています。

当時NSCは5万円ほどで入学できたので(現在は40万円)、軽い気持ちで入学したんだそうです。

 

同期には板尾創路さんやほんこんさんがおり、在校中にほんこんさんと「ダブルホルモンズ」を結成しますが、結果は鳴かず飛ばずで、1年でコンビを解消してしまいました。

そのため今田耕司さんが20歳のときにピン芸人として活動を開始します。

 

今田耕司さんはピン芸人になったちょうどこの頃、吉本興業の心斎橋筋2丁目劇場が誕生し(現在は閉館)前座のオーディションがあり、ピンになって初めて書いた「才能のない構成作家のオーディション」というネタで合格した。

当時「ダウンタウン」もこの劇場に出演していたので、この頃に浜田雅功さん松本人志さんと知り合っています。

 

そして24歳のときに「ダウンタウン」を慕って上京すると、「ごっつええ感じ」の出演でブレイクします。

また東野幸治さんとの「Wコウジ」でも人気になっていますね。

 

その後は数々のバラエティ番組に出演するほどのお笑いタレントに成長しています。

2020年には自身のYouTubeチャンネル「今ちゃんねる。」も開設したそうですね。

こちらも好評のようですね!

 

まとめ

今日は「今田耕司の出身高校はどこ?出身大学も合わせて調査」ということでまとめてみました。

何かの参考になりましたら嬉しく思います!

 

最後まで読んでくださってありがとうございました。

 

 

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