相田みつをの詩を広めた大物歌手は誰?「道」という詩はどんな詩?

テレビ

書家の相田みつをさんが、世界一受けたい授業(2020年6月20日、19時56分~20時54分)で紹介されます。

番組内でのタイトルは「相田みつをの詩を広めたのはある大物歌手だった!今、人々の心に響く「道」という詩」となっています。

 

さて、「相田みつをの詩を広めたのはある大物歌手だった!」とありますが、その大物歌手とは誰だったんでしょうか?

とっても気になりますね。

 

また、「今、人々の心に響く「道」という詩」はどんな詩なのでしょうか?

「道」という詩がどんな詩なのかについても調べてみたいと思います。

 

まずは相田みつをさんのプロフィールからご紹介したいと思います。

 

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相田みつをさんのプロフィール

出典:https://ord.yahoo.co.jp

 

名前:相田みつを

本名:相田光男

生年月日:1924年5月20日

没年月日:1991年12月17日

出身地:栃木県足利市

職業:詩人、書家

 

相田みつをさんは1924年(大正13年)5月20日に刺しゅう職人の父喜平さんと母エイさんとの間の6人兄弟の3男として生まれました。

相田みつをさんの父喜平さんは相田家の婿養子だったため、家族の中では頭脳明晰で気性が激しかった母エイさんの立場が強かったようです^^;

 

母エイさんの愛情はお子さん(特に上のお兄さん)たちに向けられていきました。

相田みつをさんは、兄2人が家業の刺しゅうを手伝ってくれたおかげで、中学へ進学することができました。

 

しかし、中学へ進学した相田みつをさんは、わからないことがあると、何でも質問して、いつも先生を困らせていたようです。

そんな性格から、先生からの評判もわるくなり、相田みつをさんは、問題児扱いされていたとのことです^^

 

人間関係が苦手だった相田みつをさんは、最も得意だった”書”で生きていこうと書道家に入門します。

しかし、その時代は戦争の時代でした。

 

母が最も愛していた兄二人が相次いで戦死します。

それが理由で母エイさんは、しばらくの間錯乱状態にあったそうです。

 

最愛の息子たちに先に死なれたら、母親としては錯乱状態になるのも無理はありませんね。

戦後になり、相田みつをさんは書を書きながら、生活のために普通の仕事を始めました。

 

それは、生活協同組合の書記の仕事でした。

そこで働いていくうちに、相田みつをさんは生活協同組合に集められた資金の一部が行方不明になったことに気づきます。

 

相田みつをさんは、その不明金がどこへ行ったか追及しますが、事態は混迷していきます。

そして、相田みつをさんは、何者かに襲われ暴行を受けたのです。

 

まさに闇の組織の存在がそこにはあったのです。

相田みつをさんは、全治4カ月の重傷を負い、その後も不眠症などの後遺症に悩まされたそうです。

 

時代が時代だったのでこの事件はそのままお蔵入りすることになってしまいました。

 

さて、母エイさんのショックは本人以上に大きかったようで、この事件後、母エイさんは相田みつをさんに仕事を辞めさせ、自分の手元に置こうとします。

しかし、病から回復した相田みつをさんは27歳のときに関東短期大学の夜間部に母親には内緒で進学します。

 

さて、相田みつをさんはその時期にある短歌の会で平賀千枝さんという女性と出会います。

平賀千枝さんは大きな商家の末娘だったそうです。

 

二人の結婚については、相田みつをさんが不器用で収入がなかったことで周囲は猛反対だったそう。

そんな周囲の反対を押し切り、相田みつをさんが30歳のとき二人は結婚しました。

 

しかし、相田みつをさんの妻となった千枝さんには、相田みつをさんの母エイさんとの確執が待ち構えていたのでした。

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相田みつをの詩を広めた大物歌手は誰?

出典:https://ord.yahoo.co.jp

 

相田みつをさんは、『書』を書くとき、仏の言葉を自分の言葉で伝えていけばいいのではないかと感じながら書いていったそうです。

 

しかし、相田みつをさんの書は晩年になってもほとんど売れませんでした。

無名のまま生涯を閉じても不思議ではなかったのです。

 

事態が一変するのが1984年(昭和59年)、当時新進気鋭のデザイナーだった松本瑠樹さんが、デパートにあった相田みつをさんの色紙を見て感動したのだそうです。

そして、相田みつをさんや出版社に”書”の本の出版をするように掛け合いました。

 

無名だった書家の本を出すことを渋った出版社側は、大半を松本瑠樹さんが買い取ることを条件に、やっと”書”の出版にこぎつけたのです。

それが有名な『にんげんだもの』です。

 

松本瑠樹さんは、自分が買い取った『にんげんだもの』をパーティーやイベントなどでいろんな方に手渡していったそうです。

そして、『にんげんだもの』はいろんな関係者に伝わり、大物歌手の美空ひばりにも渡ります。

 

当時、美空ひばりさんは1981年に実母の貴美枝さんと、父と慕っていた田岡一雄氏が相次いで亡くしていました。

また、翌年には、親友で三人娘として活躍した江利チエミさんを亡くし、さらに翌年の1983年には実弟である哲也さんを、1984年には親交があった大川橋蔵さんも相次いで亡くしていて、心身ともに疲れていたそうです。

 

また、原因のわからない腰痛などもあったらしいのですが、それを隠して仕事に取り組んでいて、体調を悪化させていました。

そのような状況の中、ご自身も闘病中で芸能界の先輩である萬屋錦之介さんから『にんげんだもの』を紹介されたそうです。

 

そして『にんげんだもの』に感銘を受けた美空ひばりさんの病室には、相田みつをさんの書が飾ってあったそうです。

それがきっかけで、相田みつをさんが広く世間に知られるようになったのだそうです。

 

松本瑠樹さんの尽力と、美空ひばりさんがきっかけで、相田みつをさんの作品が有名になって、世間一般に広がっていったのですね。

 

「道」という詩はどんな詩?

相田みつをさんの「道」という詩の一つを紹介します。

どんな詩なのでしょうか?

長い人生にはなあ

どんなに避けようとしても

どうしても通らなければ

ならぬ道-

てものがあるんだな

そんなときはその道を

黙って歩くことだな

愚痴や弱音を吐かないでな

黙って歩くんだよ

ただ黙って-

涙なんか見せちゃダメだぜ!!

そしてなあ その時なんだよ

人間としての

いのちの根が

ふかくなるのは・・・・・

引用:相田みつを 『道』

 

避けて通れない道を、避けようとする弱い自分の背中をぐいと押されるような気分にさせられる詩です。

相田みつをさんの詩は心にグッとくる作品が多いです。

 

そして、あのなんとも言えない書体からも言葉にできない雰囲気が伝わってきます。

 

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まとめ

今回は「相田みつをの詩を広めた大物歌手は誰?「道」という詩はどんな詩?」についてまとめてみました。

 

相田みつをの詩を広めた大物歌手は美空ひばりさんでした。

病床にあった美空ひばりさんを力づけていたのは相田みつをさんの詩だったんですね。

 

『道』については一つだけ紹介しましたが、他にも作品があります。

ぜひ、本になっているものを購入して読んでみてくださいね。

 

 

 

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