3096日監禁された少女ナターシャの現在は?画像や動画あり

テレビ

TBSのワールド極限ミステリー2020年1月15日(水)20時00分~3時間スペシャル!で特集される話題のトップに「3096日監禁された10歳の美少女 奇跡の脱出」が放送されます。

今日はこの事件の詳細と、監禁された少女の現在の画像などをまとめていきたいと思います。

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3096日監禁事件(オーストリア少女監禁事件)の概要

1998年3月2日、オーストリアのウイーンにて当時10歳の少女が誘拐された事件です。

一般的には

「オーストリア少女監禁事件」

と呼ばれています。

 

警察が捜査するものの、まったく手掛かりはなく、時間ばかりが過ぎ、とうとう最後には母親が殺害したのではないかと疑われる事態にまで発展します。

 

しかし、少女は犯人の男に誘拐されて、地下の防音室に閉じ込められていたのです。

 

その後、少女が白いマイクロバスに引き込まれるのを見たとの目撃者の証言があり、警察は大掛かりな捜査を開始しました。

 

776台のマイクロバスを調査したのですが、実はその中に犯人の車もあったのです。

しかし、容疑者はマイクロバスを所有していることは認めましたが、アリバイがなく、仕事で廃材などがでるから、それを自宅に持って帰るのに必要なのだと証言し、警察もその証言を信じてしまいます。

 

少女は誘拐されたときにパスポートを持っていたので、警察は国外にも捜査の目を向けたのですが、それ以上手掛かりはなく、結局少女の行方は分かりませんでした。

誘拐されたナターシャ・カンプッシュさんの画像

ナターシャ・カンプッシュさん

写真の様子から、監禁から解放されて数年以内のものではないかと思います。

これは現在に近い時期のものと思います。

髪も伸ばしてとっても美人さんですね。

犯人の顔画像と名前

誘拐犯の名前はヴォルフガング・プリクロピル。

事件当時36歳の男。

ナターシャ・カンプッシュさんの家から車で30分ほどのところに住む元エンジニア。

 

地下室(動画あり)に3096日(8年以上)監禁され、奴隷として生きた壮絶人生

プリクロピルは、自宅のガレージ下の窓のない防音の地下室にナターシャさんを閉じ込めました。

その広さはわずか5平米(約2m×2m)、出入り口のトビラは鋼鉄で補強されたコンクリート製で、トビラは金庫でふさがれていました。

「お前はもうナターシャじゃない。俺のものだ」

 

そうプリクロピルに言われ、その後6カ月間、この小さな部屋がナターシャさんにとっての全世界となりました。

 

その後プリクロピルは、ナターシャさんが一時的に上の階で過ごすことを許したのですが、眠るときや自分が仕事に出かけるときは必ずナターシャさんを地下室に戻しました。

 

ナターシャさんはプリクロピルに絶対服従の生活を強いられていました。

家の中では、プリクロピルのきっちり1メートル後ろを歩くように強制されて、理由もなくたびたび殴られ、歩けなくなることもあったそうです。

 

眠っているときは手錠をかけられ、また髪を剃られ、また奴隷として家事をさせられていたのです。

プリクロピルはナターシャさんに十分な食事を与えなかったので、ナターシャさんはガリガリにやせ細っていきました。

 

プリクロピルはナターシャさんを、いつも空腹の状態にしておいて、衰弱させて逃げられないようにしていたのです。

さらに逃げられないように

「家のドアと窓には強力な爆薬が仕掛けてある。逃げようとしたら持っている銃で撃ち殺す」

と脅していたのでした。

 

監禁された日々は、ほぼ同じ日常の繰り返しで、プリクロピルと一緒に朝食をとる、プリクロピルが仕事に出かけると本を読んだり、テレビを見たり、ラジオを聞いたりして過ごしました。

本やビデオから得た情報で、編み物や料理を学び、様々な家事もこなしました。

 

しかし、「自分は監禁されるために生まれたのではない」と自分に言い聞かせ続けて、自由の身になることをけっしてあきらめなかったのです。

ナターシャさんは誘拐されて数年間、犯人の名前を知りませんでした。

 

ですが、彼女にとってはプリクロピルは父親のような存在でもあったようで、基本的な生活のことから生理用品の使い方に至るまで、何もかも教えられていたようです。

ナターシャさんにとってプリクロピルは知りうる唯一の大人であって、多くの本を与え教育する一方、食事はわずかしか与えられず、ナターシャさんを殴り、レイプするという二面性をもっていました。

 

ナターシャさんが保護された直後のインタビューで誰もが驚いたのは彼女の知性と語彙の豊富さでした。

 

ナターシャさんが8年以上監禁されていた地下室の動画(閲覧注意!)

 

3096日の監禁からどのようにして解放されたのか

プリクロピルの自宅

2006年8月23日、ナターシャさんは庭でプリクロピルの車の掃除をしていました。

午後12時53分、プリクロピルの携帯電話に着信があったため、プリクロピルは掃除機の騒音から離れた場所に移動して電話をとりました。

 

ナターシャさんは今がチャンスだと思って、掃除機を地面に置くと、走って逃げだしました。

この時プリクロピルは、逃げ出すナターシャさんを見ていなかったのです。

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郊外の住宅の庭を200メートル駆け抜け、フェンスを飛び越え、ナターシャさんは逃げました。

途中通行人に警察に電話するように頼みましたが、なかなか本気にしてもらえなかったそうです。

 

脱出から5分後、ある家の前に立ち止まり、必死で窓をたたき助けを求めました。

その家に住む71歳の夫人は、体はやせ細り、だらしない格好をした青白い顔の若い女がこちらをのぞき込み、泣いたり叫んだり、体を震わせたり、明らかにパニックになっている様子を見て、わけもわからないまま、急いで警察に通報しました。

 

数分後には警察が到着し、ナターシャさんを保護しました。

ナターシャさんは体の傷跡とDNA鑑定で正式に身元が確認されたのです。

 

その後の捜査で、彼女が監禁されていた地下室で1998年発行のパスポートが発見されます。

 

保護当時のナターシャさんの健康状態は良好でした。

ただ、体重は誘拐された当時と同じ42キロで、身長も誘拐された当時から15センチしか伸びていなかったのです。

 

見るからに虐待を受けていたような姿にも関わらず、解放直後のナターシャさんは、監禁中に暴行などは受けていなかったと証言し、事情聴取では、

「犯人は確かに犯罪者だと思いますが、私にはいつも親切でした」と言っているのです。

 

これを、ある心理学者は、ナターシャさんが「ストックホルム症候群」(長い監禁生活が続いたとき、被害者が犯人に過度の連帯感や好意的な感情をもつという異常な心理状態)に陥っているのではないかと分析しました。

 

ナターシャさんが保護されて数時間後、警察に追われていることを知ったプリクロピルは、ウイーン北駅の近くで列車に飛び込み自殺してしまいました。

プリクロピルは何年も前に、警察が自分を「生きて逮捕することはない」とナターシャさんに言っていたといいます。

犯人はわざとナターシャさんを逃がした?

ナターシャさんが18歳になったとき、プリクロピルに解放を持ち掛けたことがあったそうです。

そのときのやり取りはわかりませんが、プリクロピルもそろそろこのような生活が終わるのを予感していたのかもしれません。

 

それから数週間後、プリクロピルは電話をとるために、ナターシャさんをわざと1人庭に残し、ナターシャさんが逃げるチャンスを与えたとも考えられます。

その証拠に電話をかけてきた相手は「電話を終えるとき彼は落ち着いていた」と語っています。

 

しかし、「ここまで逃げなかったナターシャさんがまさか逃げるなんて思っていなかった」というのが本当のところだと思うんですけど、みなさんはどう思いますか?

ナターシャさんのその後

監禁生活8年からの衝撃的な生還を果たしたナターシャさんは、5日後に記者会見の代わりにメディア向けに声明文を発表しました。

その内容はおどろくべきものだったといいます。

 

8年間の監禁生活を強要したプリクロピルに対して、憎しみなどの感情ではなく、肯定的な感情を抱いていたのです。

ナターシャさんは非常に前向きに、

「監禁された8年間で、何かを失ってしまったとは感じていません。むしろ喫煙や飲酒や悪い友達との交友を避けることができた。」

と語ったのです。

 

また、自分と容疑者プリクロピルとの関係について以下のようにも言っています。

「あるとき『ご主人さま』と呼ぶように求められたものの、本気ではないと見抜いて、拒んだこともあった。わたしは彼と同じくらいに気が強かった」、「ときどき、きわめて紳士的な態度をとると思えば、逆に、手ひどい接し方をすることも少なくなかった」

 

また、この声明文にはプリクロピルに対する怒りや恐怖などは見られないどころか、

「彼は私の人生の一部だった」

「だから、私はある意味で彼の死を悼(いた)んでいる」

など、複雑な愛情のような感情を示す内容で、世間が思う社会的な良識に反する内容だったのです。

 

事件の全容を解明すべく、捜査当局がナターシャさんからくり返し事情聴取を行いましたが、ナターシャさんの精神的ダメージが大きかったので、すべてを説明するのは難しかったようです。

 

ナターシャさんは

「もう少しでいいから独りにしておいてほしい。すべてをうまく説明できるようになる時がくるまで、とにかくそっとしておいてほしい。時間が欲しい」

と答えていたそうです。

『3,096 Days』ナターシャさんの現在

解放から5年後の2010年9月、ナターシャさんは監禁されていた日々を克明につづった手記『3,096 Days』を出版しました。

異常な監禁生活は「人生の一部」だった容疑者プリクロピルに対する深い思い入れ、それとは明らかに矛盾する警察のずさんな捜査に対する憤りが入り混じった内容となっています。

 

その3年後『3,096 Days』は映画化され、ナターシャさんは翌年、映画や本の収益と全国各地から届けられた寄付金を使って、スリランカに小児病院をたてました。

 

そして監禁されていたプリクロピルの家はナターシャさんが逃げ出した2006年8月23日から放置されていました。

その家をナターシャさんは買い取り、今でもその家を管理しているのだそうです。

 

彼女は事件以来、不安定な精神状態を抱えながらも、2010年22歳で大学を卒業しました。

社会生活に適応しようと今でも不安定な精神状態を抱えながら努力されています。

3096日監禁事件(オーストリア少女監禁事件)まとめ

10歳で誘拐され監禁生活を強要されたナターシャ・カンプッシュさん。

8年以上の監禁生活にも耐え、いつも「私は監禁されるために生きているのではない」と強い意志をもち、チャンスを見つけ、脱出に成功されました。

 

自分の経験をもとに本を出版し、映画にもなっていましたね。

その収益や寄付金でスリランカに小児病院をたてられたそうです。

なんと素晴らしい方なのでしょう。

 

容疑者とのゆがんだ関係が気になるところですが、気丈なナターシャさんなら、そのあたりも克服していけるでしょう。

そして幸せな人生を歩んでいってほしいですね。

 

 

 

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